2011年8月18日

[34]産経国際書会常任顧問・納谷古石(なや・こせき)さん(88)

采草今朝...
隷書と楷書の中間に挑戦
納谷古石(なや・こせき)

「これからは、隷書(れいしょ)から楷書(かいしょ)へと移る時代の書体を追究したいですね」

 漢字は中国・漢代に普及した隷書体から、隋・唐代にかけて完成する楷書体へと移行するまでの間、両方の特徴を持つ書体が用いられていた。その中間的な書体に挑戦するという。

 「難しいんですけどね」とつぶやきながらも、新しい分野へのチャレンジが楽しくてたまらないといった表情で目を細める。もっとも、30歳頃までは書を「好きではなかった」そうだ。

 旧海軍・岩国飛行場の整備兵として終戦を迎え、群馬県の会社を経て東京・葛飾の水門メーカーに就職。そこで知り合った同じ秋田県出身の先輩が「会社は一生めんどう見てくれるわけではないから」と、書の道に導いてくれた。

 しばらく先輩に教わった後、彼の勧めで著名書家の関根薫園(くんえん)氏に師事。めきめきと頭角を現し、やがて自他ともに認める一番弟子になった。自らも40歳手前で書道教室「光華書道会」を開き、定年まで二足のわらじを通した。

 歩くのが速く、年齢を感じさせないかくしゃくぶり。週に3日、千葉県浦安市の老人クラブでも教えている。(原誠)