台湾書家、張炳煌先生(中華民國書學會会長、淡江大学教授)特別講演
「書學今探」~台湾書道事情~

1月25日、国立新美術館講堂


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揮毫する張先生

 第34回産経国際書展新春展の祝賀会が行われた1月25日、台湾書家で、淡江大学教授の張炳煌先生が来日、「書學今探」と題して御講演下さいました。張先生は、台湾書道界の第一人者で、産経国際書会が10月27日から11月4日まで、台北の国立國父紀念館で開催する「2018日本台湾交流書道展」の共催団体、中華民國書學會の会長を務められています。台湾の書道の歴史、日本との関わりから始まり、デジタル時代の書道のありかたまで、約200人を前に流ちょうな日本語で、約一時間半にわたって語っていただきました。ウェブ版で、全文を掲載します。



 きょうの話は、「書道のいま」を再考しようということです。書道は2000年ぐらいの伝統がありますが、この2、30年の間にパソコンやスマートホンなどの技術が急速に発展して、特に若い人を中心に、字を書かなくても良いのではないか、という疑問が出てきました。長年書道の普及を手掛けてきて、伝統は何より大切だけれども、昔の考えをずっと守っているだけではいけない、と考えて、そのことをご報告したいと思います、内容としては、①台湾書道の歴史と現状②書道の時代的意義③書道発展の可能性、になると思います。

 第一は、台湾書道の歴史と現状です。台湾の歴史は非常に短くて、1624年にオランダ人が台湾の南部に入植したところから始まります。1661年に明の鄭成功の軍隊が入台して大陸系の王国を建てますが、1683年に清に併合されます。台湾の書道にとって重要なのは、1895年から1945年の日本統治時代。清時代も科挙に関係して、試験のために書道をやっていましたが、日本は台湾を統治したとき、書道を広めて、日本式の教育をやりました。この時代は日本から多くの書家が来ています。例えば、書家ではありませんが、政治家で台湾総督を務めた児玉源太郎。立派な書が台湾に残っています。また、初代の台北帝国大学学長を務めた幣原坦。書家では、丹羽海鶴。山本竟山も台湾に来て住んでいます。最も有名なのは比田井天来ですね。皆さんは私よりずっとご存じと思いますが、天来先生は台湾に3回みえて、展覧会と講演会を行いました。講演会のときは台湾中の書家が集まりました。だから台湾の書道推進との関係は非常に深いと思います。また、高塚竹堂は、当時の日本人学校の手本の教科書を書きました。日下部鳴鶴先生が書いた石碑も、台北の近郊、板橋という小学校の中に残っています。

 1949年に、国民党政府が大陸から移動したときに、有名な伝統書家や文人も多く台湾に入りました。われわれは渡台書家と呼んでいます。この渡台書家と台湾本土で学んだ台湾書家。この2つの流れがあって、いまの台湾の状況があります。
 台湾書道の歴史は短く、中国からの統治者、日本からの統治者、戦後の民主化などの影響を受けてきました。ただ、台湾は大陸と異なり、伝統的な漢字文化が守られています。現在でも伝統的な正体字(繁体字)が使われているために、書道と伝統の結び付きを知ることができるのです。漢文の基礎が固められているため書道の実用性がさらに高く、書道の学習を大事な伝統文化だと考えています。学校での書道授業より、社会での書道促進活動が盛んです。
 近年の状況でいうと、学校での書道授業が再び重視されるようになりました。社会教育の現場で、書道の促進が文化活動として行われ、書道作品によってわれわれの普段の生活環境が文化と創作的な空間になっています。お年寄りが書道を勉強することが、昔から今までずっと盛んです。
 大学での研究という観点でみると、一つは、伝統の書道の継承が、中国文学科の中にあります。芸術科には、字を書くだけではない、芸術としての書道の課程があります。また、人間的な教養の向上としての書道課程が、全学共通科目として入っています。

 一般的な書道の現状でいうと、李登輝総統の時代から、台北の総統府の前で毎年旧正月(春節)に書き初め大会をやっています。総統府の前の広場に会場を作り、交通も止めて、皆で書くのです。一番多いときは1万2000人ぐらいが集まり、世界記録にもなりました。馬英九前総統は、1年に2、3回は私と一緒に、台湾の書道活動の視察をしていました。今の蔡英文総統も同じで、書道の振興に対して強い関心を持っています。

 台湾書道では、字の形や技法を重視し、書道用具への関心は少し低い。さらに、書だけでなく、詩、書、画の一体を重視します。これは昔から「三絶」といいます。詩は詩のことだけではなく文学という意味で、文学との結び付きおよび書画同源を重視します。
また台湾では師弟関係は比較的薄くて、先生を頻繁に変える傾向があります。台湾の書の愛好者では、朝はこの先生、夜は別の先生。翌日またほかの先生に見てもらうこともある。それはオーケーなのです。また亜熱帯の島国特有の色彩の感覚もあります。書は必ず墨で、黒い色だけ、ということはなくなりました。色を入れた書道作品もどんどん出ています。さらに、表装にこだわらず書作内容を追及しています。

 台湾書道の現在の方向性は、だいたい三つに分けられます。ひとつは、文字を書く書道芸術。伝統の継続ですね。詩書画を合わせて書を重視してやる。これはもちろん一番重要な方向です。もう一つは、視覚的な芸術の書道を発展している。そして最後が書道の生活空間での応用です。これが今強く出てきています。 台湾書道で一番重要なのは、やはり台湾書道の伝承ですね。1949年の国民党政府の台湾移動から約70年。台湾本土の書家、清の時代の伝承。それから日本の時代とすべて合わせた形で流れているのです。  1949年から入ってきた大陸書家の代表と言えるのが、于右任です。私は、最近100年で、大陸と台湾の中国書家を合わせて第一人者だと思います。于右任は1964年に亡くなるまで最晩年の約15~6年間を台湾で暮らしました。この時代は草書が一番強い書体ですね。今でもすごい影響力があります。大変珍しい画像がありまして、ご紹介します。于右任先生が書を書いている60年前の画像です。ひげがものすごく長く、神様みたい。毎朝起きると、自分のひげをちょっと整理して、それから本を読み、書を書くという生活でした。  もう一人、紹介すると、台湾本土の書家で、曹秋圃という先生がいます。篆書に特徴があります。私の研究では、台湾人の書家の中で、清時代から現在までの第一人者はこの曹先生だと思います。

 台湾でも学生書道コンクールが盛んです。台湾の場合は、会場で内容と紙を配り、お手本も何もなくてその場で1時間半の間に書き、落款まで自分で押す。それで優劣を決めます。小学5、6年生は、唐の楷書だけではなくて、六朝の楷書も書いている。行書も書きます。大学生は、草書、行書。篆書、金文、大篆書も書きます。  社会人や高齢者のコンクールもあります。高齢者の中には、于右任の書体が好きで、いろいろやっている人もいます。

 いま台湾の学校では、正式の科目としての書道は教えていません。ただ、できる限り学校の中で書道を教えてくださいという命令が政府から出ていまして、各学校でそれぞれコースを作っています。今年の1月10日には、大陸の書家のトップである中国書法家協会主席、蘇士樹先生が台湾に来て、台湾の学校の書道教育を視察しました。  いまの時期は台湾の旧正月です。旧正月は、台湾の風習では、必ず自分の家の入り口に、春聨(しゅんれん)を張るのですよ。春聨というのは赤い紙に縁起の良い対句を書いたものです。実は私は、約32年前からこの春聨を自分で書こう、という運動を推進しています。春聨は春節に必ず張るものですから、もし自分で書けるなら、一番感動するではないですか。小学生がいる家は、習字を習っていますから、たとえうまくなくても子供が自分の字で書いたものを張れるとうれしいですよね。この運動は大成功して、いまの時期は、台湾のあちこちで春聨の揮毫会が行われます。  これが重要な点で、私の持論は、書道の振興は、生活と融合しないといけない、ということなのです。書道は書道、生活は生活で全然関係ないとすれば、書道の未来は難しくなります。自分の生活の中で身近に書道が存在している、こういう書道が生活には使える、応用できるとなれば、これは非常に良いことなのです。そのひとつが春聨ですね。この運動で、春聯を書くことは台湾の習慣になってきています。先の蘇士樹先生とも、今月、私の大学での講義のときに教室で一緒に書くことになっています。  つい最近、先週の日曜日には、桃園の体育場のドームに1000人が集まって春聯のコンクールをやりました。なぜ1000人かというと、ドームには1000人しか入れないからです。参加者はその何倍以上もありまして、審査をして、1000人に絞ってコンクールをやりました。参加者が書いた春聨はもちろん、家に張ります。



 次に書道の時代の意義に入ります。
 中国と台湾では書法といい、韓国は書芸といいます。日本は書道。字の意味から見ると、書法があって、書がうまく書けてから芸術家になるのです。だから書の芸ですね。書の芸に入ってから、またいろいろ学問や、哲学の精神的な言葉を書いて、書の道になります。ただ、いま各国で使っている言葉、別にそんな厳密に意味を考えて使っているわけではありません。みな書のことです。そして書法、書芸、書道以外に、伝統からやや離れた現代書芸があります。現代的な書芸術。だから、私はそれらを全部合わせて、「書學」-書の学問だと思います。  書道というのは、字を書くだけではありません。字を書くだけなら、書写です。われわれは筆を持って作品を書く。作品には、内容、精神、新たな芸術観―これらが全部入っています。それを「書學」といいます。伝統的な書法なら、これが本当の学問になるのですが、今は、デジタル時代という問題が出てきました。  昔は大きなパソコン、今は薄いノートブック、スマートホン、どんどん進歩して、どこまでいくか分かりません。分かるのは、書写の必要性が低くなっているという現実です。昔は、字を書くならば必ず筆で、筆に墨をつけて紙に書きました。近100年来は西洋から入ってきたボールペンとか、硬筆の用具が入ってきて、ついにデジタル時代になってきた。デジタルの用具は、ものすごく便利になりました。将来どうなるのか、われわれは関心を持たないといけません。

 伝統的な学習の訓練、基本の筆法として必ず筆を操る方法は大事です。これは基本ですね。これができたら、次は臨書で、各書体を学ぶ。臨書して技法を習得して、それから臨書作品を表現します。次に重要なのは融合。書家になるためにはこれは必要条件です。融合しないと自分の書はできません。1冊の本を読むだけもあなたの知識ですが、それでは学問はその本しかない。たくさんの本を読むなら、全部を吸収して、それを融合して、自分の知識も高くなる。書道家になるならば、絶対に必要な課程です。さまざまな書体、技法を融合してから、自分の考えで、自分の技法で、創作する。次にまた、いろいろなその他の手本を臨書して、吸収して、また再創作する。この繰り返しです。  臨書は、まず手本を厳選し、真面目に吸収する形から入るのです。それから学んだものを融合するのですが、このとき、感性と思考と文学・芸術および人生経験が必要です。この面は大事です。中国語では、「字内功」と「字外功」と言います。字内功というのは習字の内で、習字の中の工夫です。それでは書家にはなりません。書家になったら、習字以外のいろいろな工夫が入る。字外功です。習字以外の、感性、思考、文学・芸術および人生経験。これを合わせて初めて本当の融合です。それで今度は創作と、技術の展示。経験の累積です。融合貫通、個性に潜り、大胆に表現する。心で触れ、自我を目覚めさせる。それが創作です。

 最初は手法。技法ですね。大事なのは技法から心法です。心の法。心法に入ると筆の持ち方、技法、どちらも大丈夫になります。心から書くのですよ。手を用いることを通して心を用いる。心を持って創作する。書家になるのだったらやっぱり心です。ただの手ではない。ただの筆ではない。これが私の考えです。  ただ、今の時代は、さきほど申しあげたように難しい問題が出てきました。昔の筆がペンになって、いまはデジタルペン。紙も変わりました。普通の紙から、モニターやデジタル端末になってきた。実は、紙は、大陸でも大問題になっています。というのは、政府が環境保護のために木を切れないようにして、紙を作る原料がなくなるのです。古新聞などを再生していますが、紙屋さんに紙がない。書道に必ず紙がいるとするなら、書道の将来はどうなりますか。  書道というのは、昔から伝統を継承してきたのは筆で紙を書く。筆で紙に書くのはいまの時代、いろいろ変化が出てくるのですから、その効果を見なければいけない。造形書道というのはそうした環境で出てきています。環境芸術、インスタレーションですね。

 伝統的な文人書道というのがあります。文人としての教養・品格。詩書画三絶の素養を融合したものです。実は、われわれの書いている書道はほとんど文人書道です。なぜ文人書道かというと、書道というのは、読める芸術なのです。ほかの芸術は読めません、読む内容はありません。書道はあります。つまり、読めるなら、これは文人書道ということになります。  だから時代の変化に応じた方向性といえば、漢字文化の継続と伝統的な書道の伝承ですね。文字書写教育と東方芸術学習者への指導教育。それと、時代に沿った現代書道芸術の開拓。「伝統文人書道」対「現代造形書道」とも言えます。日本の書道の分野でいえば、漢字、かなは、伝統的。造形書道だったら墨象とか、現代書とか。ただ、それだけではなくて、積極的に書芸術を生活人文空間に導入していくことを考えるのが今の時代です。  みなさんの頭を悩ませている問題として、展覧会で書いた作品はどうするのか。自分で保管するにしろ人に渡すにしろ、掛けるところがない、所蔵するところもない。もしそういう作品が、生活の人文空間に入っていくようになれば、書の幅が広くなると思います。

 日本も韓国も中国でも台湾でも、現代書道に西洋芸術の概念が入ってくることが多くなっています。台湾の書家の中にも、アメリカとかヨーロッパ留学に行く人がいます。書家は、漢字を書いて、筆で漢字を書くのに、欧米に留学して何を習うのか、と思いますが、西洋の芸術概念を学んでから伝統的の書道を合わして、創作するのです。オリエンタルの芸術観、西洋の芸術観を合わせて現代のものになるということ。これは欧米の現代画家でもそうです。東方の書道の概念を受けて創作をします。スペインのジョアン・ミロは、書道が大好きで、臨書をしたこともあります。特に墨の変化が大変好きだと言っていて、作品にも影響が出ています。東方でも西洋でも芸術の共通がある。そういう共通がありますから、伝統的な書道も必ず変わっていくのです。  書道はただの提示ではなくて、例えば空間の中、インテリアや品物に入れて、環境に入れて、いろいろ使えるのです。舞踊にも入っていまして、ファッションにも入る。私は、最近は書道と音楽を融合する活動をやっています。昨年6月に、台湾の国家音楽廰で初めて行って成功してからです。音楽の演奏に合わせて揮毫しますが、作品によって音楽が違います。書はほかの芸術と合わせることもできるのです。3月31日にシンガポールでやるときは、台湾の音楽家が歌います。歌の内容を私が書で書いて、それを合わせて一つの、演出のようになります。  書道学習の特色は、まず文字の教育と文化の涵養。精神の向上ですね。そして芸術美学の習得。特にその中に精神の向上や集中力をよく高める精神の訓練を、性格を持っています。だから技術の学習。成熟的な技を基礎として臨書、模倣ですね。融合、創作して、それまた字外功の学習を結びながら書道は上達していくのです。そこで現代生活と結べば、伝統書法は現代ファッションになるのですよ。

 これは私の考えですが、大陸は、書道という文化保護のためにユネスコの文化遺産登録をしました。文化遺産になったら、中国の書道の将来はなくなるのです。なぜなら、滅びそうな文化だから、保護しようということですから。  一つ考え方を変えて、現代ファッションになるならば、これはその時代のもの。いまの時代は、書道はファッションです。誰でも書道を好きに学んで使っているし、応用ができるのならば保護する必要はありません。50年、100年過ぎて、いまの時代を見れば、いまの書道が伝統ですよ。現在生きているものは将来の伝統なのです。  書道は、文字の生命力を創造するということです。書道は何を表現するのか。文字の生命力です。いまの墨象とかも書の中に入っていますが、書はやっぱり精神。それが一番大事なことです。書道芸術というのは、熟練の技法と書道の素養を持って審美的観念でもって作品を書く。作品に創作者の思想と感情があふれることで鑑賞者を感動させることができて、初めて書道芸術と言えるのです。  ただ字を書くのでは、芸術にはなりません。書道創作は文字を通じて自己を表現することです。



 最後に、書道発展の可能性について話したいと思います。
 字を書くときは必ず気を要します。心から気を結んで、それを書く手に入れる。文字の生命力は、気が発生するのです。だから書家の方は、多くの方が長寿です。書を書くと気が流れますから、気が滞ることがない。人間の脳機能の成長にも重要です。子供の脳知能の発展との関係は、淡江大学と大陸の清華大学と共同で研究をしています。日本では、子どもに書を勉強させてください、といってもなかなかうまくいきませんが、子どもが書を習うならば脳の知能が成長します、子どもの成長教育に、書道は非常に効果があるということを強調したい。それで書道を習うか習わないかと聞いたら、必ず習います。子どもの成長教育に対して非常に有利と思えば、親はやらせます。これは現代の考えですね。  書の芸術が、生活空間への応用分野を通じて積極的に生活に身近な芸術になることで、国際交流の重要なツールとなります。特に非漢字文化圏への浸透ですね。ただの日本、ただの台湾、ただの韓国。そうではない。漢字は、われわれ漢字文化圏だけのものではありません。たとえば、アラビア文字で書くアラビア書道は、向こうの国の伝統です。

 書道芸術の基礎としての書写教育の充実です。用具を使って書写の技法を身に付け、心と一体になることで、きれいな字を書けるようになるのです。各種の書体の特徴を吸収するのも書写の技術です。そして用具の応用で書写の実用性を高める書写者の専門研究が必要です。用具はいつも改善している。例えば、筆も、オオカミの毛はとれないから化学繊維が入る。どんどん変わっていくのです。ここにデジタル用具が出てきます。

 私は淡江大学で「デジタルe筆システム」というものを研究しています。伝統書道とパソコンの融合です。王羲之とか、懐素、蘇東坡とかの昔の手本、あるいは昔の絵を全部分析して筆跡を復活させることができます。今までの法帖や手本だと、紙の印刷ですから、どうやって書いたのかさっぱりわからないところある。それがe筆だと、動画で一字一字、一画一画から書き方が再現されるので、全部分かる。しかも自分が納得いくまでスピードも調節して再現できます。これは手本の革命ですね。  例えば若い人は習いたくても、先生についている時間があまりない。それがe筆を使えば、簡単に書ける。デジタルペンで、e筆で練習してもいいし、それを見て毛筆で練習してもいい。e筆の発展の意味は、伝統用具を使わないと伝統芸術を創作できないという考え方が変わる。時代に合わせて伝統の用具をデジタル化にして、各種の端末で利用可能に、若者向けにするのです。

 紙はあまり使わないし、墨も使わない。硬筆でも書ける。デジタル篆刻も作れます。先生との関係も、e筆で書いてeメールで送信して、添削を受けることも可能です。私は淡江大学でe筆課程を開設していまして、コンピューター教室でe筆を教えて、それから毛筆に入るのです。添削はメールを通じて行い、あとで毛筆を使って書く。e筆・毛筆を合わせて書の練習をするとものすごく効果があるのです。学習のスピードがすごく速くなります。だから学生も興味が続くのですね。中国大陸にもいくつかの市で、e筆を入れた書道教育を行っています。国際的にも、e筆のデジタル競書をいまやっています。  ただ、芸術としての書道を考えると、一番大切なのは、伝統の筆です。デジタルの用具は使っても伝統の毛筆が一番大事です。これから、2、3枚、作品を書きたいと思います。以上が本日の私の話です。ありがとうございました。


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張先生の講義内容(一部)

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新春展の会場を鑑賞