2014年1月24日

[61]樽谷龍風(たるたに・りゅうふう)さん(85)専管理事 日本書芸美術院理事長

杜甫詩『秋興』
書の世界突き詰めたい
樽谷龍風(たるたに・りゅうふう)さん
 「君も書いてみないか」。神戸市の結核療養所で、同じ肺結核に苦しむ書家、尾田静邨に誘われたのが書との出合い。28歳だった。元来書が好きで、病を押して書き始めた。

 主に書道雑誌が手本だった。30歳のとき、漢字書家の西村桂洲が主宰する「莞耿(かんこう)社」に入会し書を深めていく。同時に水墨画、篆刻も本格的に始めた。西村は個展も開かず書も売らない書家。樽谷は西村の書道一徹の生き方に傾倒し、昭和40年に自身の書会「龍風会」を立ち上げ、独立する。

 昭和60年ごろ、新国際空港ができるビッグニュースに関西は沸き立っていた。「関西一円を担う大きな書会をつくろう」と池田青軒が提唱し、平成元年に設立した「日本書芸美術院」に樽谷は、遠藤竹泉らとともに参加。狙い通り、大阪府南部の泉州地域を中心に書愛好家が増えていった。

 樽谷はいま60年に及ぼうとする書歴を振り返り、大先輩の書家、榊莫山の生き方に思いを寄せる。榊は山野を歩いては、自然に着想を得た素朴な画に詩文を添えた「詩書画」の世界を確立した。樽谷は言う。

 「人間関係に苦しむより書本来の世界を純粋につきつめていきたい。それがいまの思いだ」(柏崎幸三)