2013年5月 1日

[54]産経国際書会顧問・五十嵐光子さん(88)

田子の浦に うち出でてみれば白妙の...
いつも努力「坂の途中」
五十嵐光子さん
 師、藤岡保子との出会いが仮名との出会いだった。現代かな書の最高の書き手の一人と称賛された書家だ。12歳で入門、休むことなく修行した。旧華族出身の藤岡が42歳から始めたという書は、力強さ、品の良さ、そして何よりもふくよかさがあった。

 藤原行成に近い書を書く藤岡の書を五十嵐はまねた。言葉で教えることの少ない藤岡は、手本がすべてだった。手本の言葉の由来、意味などを五十嵐は丹念に調べた。藤岡に近づきたかったからだ。だがまねも難しかった。ある書家が言った。「そっくりに書いてもだめだ。それは自分の字ではないぞ」

 書家ならば、自分の字をつくらねばならない。覚悟を決めた。藤岡の筆遣いを手本に自分の字をつくっていった。五十嵐の字は、藤岡の死後、完成した。「先生の筆遣いをあくまで守り、自分の字をつくった」

 書歴70年以上となる五十嵐だが、いまも書に対する姿勢は変わらない。藤岡の教えを守り、そして勉強する姿勢だ。「頂上に行ったら下りるだけでしょう。だから私はいつも坂の途中にいます。いつも努力です」(柏崎幸三)