2013年3月29日

第16回公益信託國井誠海書奨励基金に2氏

 次代を担う若手書家を顕彰する第16回公益信託國井誠海書奨励基金の受賞者は決まり、東京都千代田区の銀行協会で29日、顕彰式が開かれた。受賞したのは、山形県酒田市の銀行員、関原愛子さん(41)と栃木県鹿沼市の高校教諭、佐藤達也さん(22)。同運営委員会(霧林道義委員長)から2人に賞状と懸賞金(50万円)が贈られた。

 

霧林委員長は、生前親交のあった國井氏についてふれ、「書家というものは、思いを書く。よこしまがない。これ見よがしではない。思わせぶりがない。ただ、純粋で公正である。やむことができない、むずかしさがある」などと述べた上で、「世間の風潮は、これみよがし、思わせぶりが多い。テレビで放映される娯楽番組。これはほとんどがこれ見よがしです。テレビのアナウンサーもいかにも軽薄で、そんな風潮がはびこっている。

しかしその行き先は徘徊老人になるんです。みなさまは書を求めているわけですから、こういうことは分かっていることと思いますが、國井先生は、ある大切なものを追求していた。みなさまにお配りしたものは、前に國井先生に書いたものですが、ぜひ徘徊老人にならぬよう、心だけはけっしてウロウロしないよう日ごろ思っている一人です。

 

そして、國井氏が書いた『地獄への道』をひき、次のように述べた。

 

「地獄への道は、何時も善意に舗装されている」

「溺愛されていた人たちは、視力も衰え、立ち上がっていく力も弱くなっていく。そして、なにがこの世の中の秩序であるかも、分からなくなっていく。ただ、ただ、おのれの目先の好奇心にあやつられながら、日々を消していくほかはないのである。

困っているからなんとかしてくれ――と叫びだしているのは、溺愛されていた人々の通性であるようである。

人は、誰でも、おのれの素性を見きわめていかなければならない。困ったら、そこで立ち上がっていこうと努めていく人たちは、やがて、おのれの心の素性を知り分けていくことができていくことであろう。

 

人はみずからの立つところが、あいまになっていくと、感覚的なものに溺れだしていく。しかし、立つ所が、はっきりしはじめていくと、『アイデアや感覚的なものの表現ではなく、人間の心の奥のものを表現しよう』と努めはじめていくのである。そして『作為なき姿をうたおうとしていく』のである。

「常に 美しきものへ 感応して 生きた者のみ 美しく 死ぬことができる」のである。これは岡倉天心の詩ですが、こういうことをかんがえてみますと、芸術家というのは、思い、よこしまのないのが根本になっている。ウロウロして来る。徘徊老人になってしまいます。そう思い、日々を引き締めて暮らしている者の一人です。きょうはおめでとうございました。

 

続いて運営委員の渡邉麗子氏が、「國井は、現代書のパイオニアとか、開拓者とかいわれますが、その足跡を申しますと、50代で、単身アメリカに渡り、個展を開きました。以来20回以上、海外で個展を開きました。60代では、東洋書人連合、産経国際書会の立ち上げ、70代では、山形市に國井誠海記念館を建設、80代で、この公益信託國井誠海書奨励基金を設立。90代で産経国際書会最高顧問、誠心社名誉理事長に就任した。生涯、92歳で亡くなるまで、最後まで生涯書一筋に、書の表現を追及してきましたなどと述べた。

 

来賓挨拶として、受賞者の佐藤達也氏の師、柿下木冠氏が「最近、酒田市に足を運びました。土門拳美術館があり、何故か造形で示唆を受けた。國井先生も山形の人。出羽三山の中で、国宝の五重塔を見た。山形の人の心の底にあるものは何かを考えてきた。2人をみて思うのは亡くなってからも続々と後輩が出てくる。また渡邉麗さんのように高い見識で、お父様の意思を持ち続けてやっている。ありがたいことであると考えている。書を書く前から、私は書く以前に、人間のどんな人間なのかを磨くことが大切なのでしょう。これからも2人には、書人として立派な歩みをしていってほしいと思います」

 

 続く顕彰式で関原さん、佐藤さんは渡邉麗氏から賞状と賞金を贈られ、挨拶した関原さんは、「私が書を始めたのは、小学生のときでした。以来、渡部美恵子先生に24年間ご指導をいただいております。18歳になり現代書に出会い、最初は、現代書をどういう風に書いてよいのかわからなかったのですが、國井誠海先生の練習をみて、スムーズに滑る、滑らかな筆の動きを見て、『ああいうふうになりたいな』と思った次第でした。そしていま、ようやく自分の気持ちを入れて書けるようになってきました。これからも、
渡邉麗先生はじめ、みなさんのご指導をうけながら、現代書の勉強をしていきたいと思います」

 

佐藤さんは、「テレビから伝わってくる津波の恐ろしさを表現しようと思い書きました。

この海という書は、2年前の318日に書きました。東日本大震災の7日後に制作したものでした。世間が混乱した中で、筆をもつしかないと思ったのでしょうね。自分の力量以上のものがそこに出せた。二度と書けない作品だと思いました。作品は、宇都宮市の(作新学院)高校で書いたものですが、当時は、ガラスが割れたり、モノが落ちていたりした悲惨な状況の中だったのですが、先日、宇都宮の学校にいってみると、ガラスなどが直っていて跡形もなくなっていて、震災の爪痕は感じられませんでした。時が流れるというのはそういうことなんだなと改めて思いました。自分の中で3.11を風化させないためにも、この受賞をありがたいと思っています。ありがとうございました」

 

懇親会で書評論家の田宮文平氏が乾杯の音頭を取り、「いつも申し上げるのですが、この賞は、育英資金のように返す義務はない。お返しする必要もないし、報告義務もない、どのようにお使いになっても自由。将来立派な作品を書いてもらうことで返していただく、これが國井誠海先生の基本的な考えです」と話した。

 

関原、佐藤を育てた、3人の師に尋ねると、関原氏の師匠、渡部美恵子氏は、「現代書といっても古典に根ざした作品を書いています。今回も古典の「黄庭堅」の中から一次をひき、書いた。安定感のある作品ができました。関原さんは銀行員らしく、明るく前向きな性格で、指導したことを素直に受け止めた上で、自分らしさを出してくる。書の根底には、國井先生に40年間、私が教えていただいたものを土台にし、それで指導してきたので、太線、細線、潤筆、活筆の変化が入っている作品になっています。

 

佐藤氏の師、柿下木冠氏は、「とにかくスケールが大きい。各字体にわたって書ける実力者です。高校時代の師、村松太子氏は、「1年生のときに徒ラグビー部でけがをして、書道を本格的に始めたのだが、自分を見つめられる書家です。高校時代の書道部の同級生たちにももまれ、大学でさらに柿下先生に学んで花が開いたのだと思う」

 

 

 同賞は、産経国際書会元副理事長の書家、國井誠海氏が平成103月に三菱UFJ信託銀行に受託。文部科学省(文化庁)を主務官庁として設立し、これまで42人が受賞している。対象は、毎日書道展、産経国際書展、誠心社現代書展およびそのほかの書展で一時書、少字数書、近代詩文書、刻書、刻字の各部門から優秀な作品を書いた、現代書分野における新人を顕彰している。

 

 運営委員長は、詩人の霧林道義、運営委員には、毎日書道会編集主任の青木利夫、筑波大学名誉教授、角井博、産経新聞社シニアアドバイザー、齊藤繁、書評論家、田宮文平、誠心社代表、渡邉麗子の6氏。